狛犬の夏休み 〜再受験で入った医学生のブログ〜

20代後半で再受験。某国立大学医学生のブログ。普段考えたことをおもむくままに書いていきます。医学生の日々の生活や趣味、受験時のことなども書いていこうと思います。

ワクチンと人生のやりたいことリスト

人生あれこれ迂回してきた狛犬です。

 

本日はMRワクチン打ってきました。

 

MRというのは麻疹(Measles)、風疹(Rubella)の頭文字でMRワクチンはこの2種混合ワクチンのことですね。

 

何故ワクチンを打ってきたのかというと、来年から病院実習を(順調に行けば)行うわけですが、その前に様々な感染症対策として抗体を持ってないといけないのです。病院実習で患者に接するためには色々と必要だということは以前にも書きました。

 

なので抗体値を検査してもし基準より抗体値が低ければ医療機関でワクチンを接種しないと病院実習には参加できません(そのまま留年確定ってわけではないようです)。

 

実は私、ムンプスワクチン(おたふく風邪)も抗体値が足りず接種しないといけません。日本ではこれらのワクチンを同時に打つことができず、少なくとも四週間空けないといけないので今回はMRワクチンのみ打ちました。

 

海外ではMMRワクチンといって、先ほどの風疹麻疹ワクチンに加えて、ムンプスワクチンも混合させた三種混合ワクチンが主流のようです。

 

もし海外だったら一回の接種で終わってたかもしれませんが、まあ仕方ないですね。

 

ところで今日は「最高の人生の見つけ方」という映画をAmazonプライム・ビデオで観ました。

 

2007年公開と、昨日の「パッチ・アダムス」といいこれまた少し古いですが、感動する映画でした。

 

余命宣告された二人が死ぬ前にやりたいことリスト(Bucket list)を作ってそれを実現するために世界中を旅する映画です(ざっくりに言うと)。

 

Bucket listにはスカイダイビングにカーレースにエベレスト登頂などがあって、まさに男の夢を詰め込んだ感じでした笑

 

余命宣告されなくても、人間誰でも、やりたいこと、夢みたいなことを持っているかと思います。でも残念ながら映画みたいに大富豪の親友でもいて、死ぬ前に何かしようって気概がない限り全部叶えることは不可能ですね...

 

人生は一度きりです。

 

日本の場合、ほぼほぼ今後の人生を高校生くらいまでに決めないといけません。パイロットになりたい、保育士になりたい、ゲームプログラマになりたい、小さいときからあれこれ想像していた将来の自分を高校生までに現実のものとして作り上げなくてはいけません。私自身そうでしたが、その決断は思春期の子供たちにとっては恐ろしくストレスのかかることではないでしょうか。

 

江戸時代までには農民は農民、商人は商人、武士は武士と生まれたときからほぼ決まっていました(実は結構身分は行き来できたそうですが)。それこそ生まれた時からレールが引かれ、自動的に夢は諦めざるを得なかったのです。

 

しかし、将来の選択肢が一気に広がった現代、一見自由で恵まれてるように見えますが、逆に将来に対する不安に繋がってるように思います。

 

私自身、医学部入り直す前には他の夢がありました。もちろん夢が叶わなかったので医学部再受験したのですが...

 

高校生だった時も医者になるのとその夢を叶えるために普通の学部に行くのと結構悩みました。結局普通の学部に行くことにしたのですが、想像していたのと少し違ったんですよね...

 

今更引くわけにもいかず、ズルズル20代後半までその道を歩み続けたところ医者になるもう一つの夢を思い出し再受験しました。

 

でも実際、医学部じゃなくても、やりたいことができる!と思って大学に入ったものの想像と違って意気消沈、別の学部に行っとけばよかったって思ってる人は私以外にもたくさんいると思います。

 

そういう人でもやり直せる、全然やり直してもいいんだっていう認識が広まる社会になってこそ江戸時代と違うこの現代の自由さを最大限に活かすことができるのではないでしょうか。

 

何よりもやり直せると思えば進路に悩む高校生達のストレスを大きく減らすことができると思います。

 

(もちろんやり直せる資金力があることが前提になってきますが...再受験とお金の話はまたいつか書こうかと思います。私は大学は人生パス制度、一回卒業までの学費を払ったら何回でも入り直してオッケーにしたら良いと考えてます。それくらいしてもらわないとヨーロッパの大学に比べて学費高過ぎです。)

 

人生一度きりと書きましたが、その人生に詰め込むことさえできれば、Bucket listは別に何項目あってもいいわけです。

 

そのBucket listはいつでも付け加えていいし、どれからやってもいいし、いつやってもいい、そんな社会になればいいなと思っています。

 

私は少し詰め込み過ぎたようですが(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

年齢差のある大学同期との付き合い方について

再受験で医学部に入ったこまいぬです。

 

昨日おとといくらいから天気が悪く今日も雨が降り続いています。

 

そんな中、夏休みももうすぐ終わりということで、大学の同期とバーベキューしに行ってきました。

 

運良くバーベキュー場ではそれほど雨は降ってなかったんですが、湿気がすごくてなかなか火がつきませんでしたね。

 

大学の同期といっても、年の差はかなりありますが、なんとか受け入れてもらっています。

 

医学部再受験する人にとって年の差ってかなりのネックになってくるんじゃないでしょうか。

 

例えば30歳で医学部に入り直したとして(実際そのくらいの年齢で入り直す人はたくさんいらっしゃいます)現役で入ってきた人が18歳ですから、12歳もの年齢差があることになります。

 

再受験でなんとか大学入試を突破しても、これから一回りも違う年齢の人とやっていけるのか不安になるわけです。

 

大学に入った瞬間から、三十路のおっさんが、スマホでゲームしまくったりinstagramで何々を投稿したり、現代っ子ばかりのキャピキャピした空間に放り込まれることを想像してみてください。

 

まだ近い年齢同士集まれれば良いのですが、医学部と言えどそうそう三十路の学生はいません。

 

かと言って孤独を貫こうにも、医学部に入る限り、グループワークやポリクリなどで同期との付き合いは避けて通れません。

 

そもそも医学部の数多くの試験を突破するためには同期との繋がりが不可欠です。

 

なんとかして周りに溶け込むしかないのですが、一体どうすれば良いのでしょうか。

 

「パッチ・アダムス」という映画は観たことがあるでしょうか。

少し古いですが、割と有名で私も大好きな映画です。この映画の主人公のアダムスは色々あってかなりいい歳になって医学部に入り直すのですが、初め周りからはビックリされるものの自然と馴染んでいく様子が描かれています。

その歳で医学を学ぶのか、と寮で一緒になった同居人に言われた時、アダムスが「ベーブ•ルースは39歳でヤンキースに入団した」と即答するシーンが印象的です。

 

何故アダムスは周りから受け入れられたのでしょうか?もちろんアメリカの文化的背景(アメリカでは大学院修了してから医学部に入ります)や映画による誇張(ベーブルースは実際には25歳で入団)がありますが、私はプライドを捨てることが大事だと思っています。

 

どうしても自分の方が年齢が上だということを意識しがちになって接してしまいます。例えば、飲み会があってもまだまだその場に慣れていない20歳そこそこの同級生に対してついつい知識を見せびらかしたり、何か教えようとしたりしてしまいます。

それではいつまでも経っても同期としてではなく、ただの年上の優しいおっさんとして見られるだけで終わってしまいます。

 

もちろんそういう優しいおっさんとしての立場を望んでいる人もいるかもしれませんが、私の知る限りではそういう人は必ずと言っていいほど孤立します。

 

なぜかと言うと医学生もプライドの高い人が多いので、どうしても年齢差を強調してくる優しいおっさんとは対立しがちになるからです。

 

先ほどのアダムスはというとまったくプライドはありません笑

誰とにも平等に接し、馬鹿騒ぎを繰り返すのです。

 

アダムスほどの馬鹿なことはしなくて良いとは思いますが、ある程度年齢が上だというプライドを捨て切ることが必要だと思います。

 

私もまだまだ年齢差のある同期との付き合いは試行錯誤の連続です。

 

この六年間での出会いは今後も長い付き合いにしていければと思っています。

レアなものに対する人の対応についてあれこれ考えたこと

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ついに色違いレックウザを捕まえてしまいました。

レイドバトルが終わってこれが現れたとき本当に手が震えましたね。脳汁アドレナリンが出てるのがはっきりわかりました。

ボール7個しかなかったんですが、運良くボール2発目でゲットできました。

やっぱり色違いみたいなレアなことは特別感があっていいですよね。

 

今日もいい歳してポケモンばっかりやってたのかと怒られそうですが、はい、今日も真面目に勉強していました。同年代の人はみんな働いてますからね…

 

二階のカフェで勉強していたのですが、人通りの多い路地で外国人が何かショーみたいなことをしているのが見えました。

 

もちろん色違いっていうと失礼ですが、私の街ではまだまだ外国人、特に非アジア系の外国人を見ることは少なく、路上でこういうショーをしているのは初めてみました。

 

ショーと言っても、よくよく見続けてると、ただ大きな輪っかで大きなシャボン玉を作って飛ばしてるだけでした。

 

やってる外国人の方も笑顔を作ってるものの、特に何かパフォーマンスをしたり客に注意を引かせたりする訳でもなく、本当にただシャボン玉をすくっては飛ばすってのを繰り返すだけでした。

 

それでも通りを通りかかった人の結構な人数が足を止めていました。中には「日本を周遊するためのお金が必要です」と書かれた看板の前に置かれているビンにお金を入れてる人もいました。

 

もちろん私も歩行者だったら間違いなく足を止めていました。しかし、それはシャボン玉のショーがすごいからというよりも外国人が何かショーをやっているからという理由の方が強いと思います。

 

もし明らかな日本人がやってたら、なにこんな路上でシャボン玉なんて飛ばしてるんだ!邪魔だろ!ってさえ思ってたかもしれません。

 

兎に角も私が見ていた時だけでかなりのお金がビンの中に吸い込まれていってました...

 

ところで、色違いレックウザじゃないですが、何故ほぼ均一な集団の中に他と異なる存在がいると、その他と異なる存在に関して色々と違う結果になるんでしょうか。

 

レックウザに関して言えば色違いに出会うまでに苦労があります。苦労してレイドバトルしまくってやっと出会えたのが色違いレックウザです。

しかし、そもそもどうして苦労してまで色違いが欲しかったんでしょうか。

人はなんでもかんでも価値を付けたがります。相対的にレアなものほど価値が高く、何十万年とも言える人類の生存競争の中でそれを見出せる人が生き残ってきたとも言えると思います。

私が色違いレックウザを見つけてアドレナリンが出たのも先祖様から引き継がれた本能的なものでしょうね笑

 

ではシャボン玉ショーをしていた外国人はどうでしょう。たしかに外国人がショーをしているというのはレアではありますが、別に手に入れられるようなものでもありません。むしろお金を放出してる人もいます。

 

先ほど集団の中に他と異なる存在と言いましたが、この場合、異なる存在は集団の中に入っていないと思います。周りの集団にとってシャボン玉ショーをしている外国人は他の世界から来た人、例えるとファンタジーの世界です。

 

ファンタジー世界にいる外国人がはるばるここまできて何かしている、これを含めてショーになっているんだと思います。

 

この例でも人類が長年の歴史で培ってきた本能が役割を果たしていると考えてます。

 

つまり、先ほどのレックウザの例は相対的にレアなものに価値を見出す、でしたが、今回は絶対的に新しいものに価値を見出す本能が影響したんだと思います。

 

人は常に新しいことを学んでいかなくてはいけませんからね。

 

もし、この外国人の方が周りと同じ世界から来てると気付いた時、一気にその価値は無くなっていくのではないでしょうか。

 

なんか本能だの生存競争だの人間味の無いことを書いてしまいましたが、当然本当に親切心からこの外国人が日本周遊できるようにお金を渡した人もいると思います。

実は私も外国に行ってる時に何度か助けてもらったことがあるので、お金を渡しに行きました笑

 

でも、外国人がシャボン玉のショーしていても何だ大したことないなって(私も含めて)スルーできるようになって真のグローバル社会なのかもしれません。

 

 

 

 

 

そもそもCBTとは何なのか

今日もなんとか順調に勉強が進んだ狛犬です。

 

最近は(今年から?)はクエスチョン・バンクは全てオンライン上で解いていくようになっていて、同じクラスメイトが大体どれくらい既に解いてて正答率はいくらかみたいな解析がドットグラフで見ることができます。

 

もう2000問近く解いている人もいれば、まだ数十問くらいの人もたくさんいます。

 

私はというと200問くらいなので、まあ上位半分には入ってるでしょうか。

 

CBTまで二ヶ月ちょっととなり夏休みを満喫している同期達もさすがにCBTの話をすることが多くなりました。

 

そもそもCBTって何なんでしょうか。こういう仕組みを理解しておくっていうのは、昨日のモチベーションの話に繋がるかは謎ですが、大切だと思います。

 

CBTってComputer Based Testingの略なんですよね。直訳するとコンピュータを利用したテストって感じでしょうか。この意味からわかるようにCBTは別に医学部に限らず、薬学部、英検、漢検とかにも使われてる用語のようです。

 

それでは我々が受ける予定のテストの正式名称は何かって言うと共用試験って言います。実は、一応この試験もコンピュータを利用して行われるのでCBTがくっついているだけなんですよね。

 

みんなCBT、CBTって言ってますが、共用試験って言うのが正しいようです。まあCBTの方がカッコいいですから言いたくなるのもわかる気がします。

 

それでは、共用試験とは何なのか、なぜ受けないといけないのか調べてみました(今まで知らなかったのかよって話ですが)。

 

共用試験がそもそも何故必要なのかは医師法第17条を確認する必要があるようです。

 

医師法第17条には、

1.患者への侵襲性や患者の羞恥心を十分配慮した一定の行為に限定する、2.指導医のきめ細やかな指導・監督下に行う、3.患者などの同意を得て行う、4.事前に学生の能力と適性の評価を行う

とあります。

 

要するに本格的に臨床実習に入って患者に接する前に学生の能力と適正を評価しないと違法になるよってことのようです。

 

同様の目的で共用試験の後にOSCE(Objective Structured Clinical Examination:
客観的臨床能力試験)も実施されます。

 

医師の資格のまだない学生が患者に接するために不可欠な条件として(違法性阻却事由というそうです)共用試験とOSCEが存在するわけですね。

 

まあ本来であれば法で縛られるまでもなく患者に接するまでに知識を持っておくべきなのですが、仕方ないですね。

 

それでは共用試験のCBTっていうのはどのように行われるのでしょうか。

 

CBTは各大学が実施するのですが、共用試験を管轄する機構のサーバーに2,5000問もの大量のプール問題があり、そこから受験生ごとに異なる問題がランダムに350問出題されます。

 

でも難しい問題ばかり当たった学生はかわいそうなので、平均的な難易度に差がないように調整は行なってくれるようです。

 

以上のことはこちらのスライドを参考にしました。

 

こう詳しく調べてみると私が今やってる勉強の意味がはっきりしてきた気がします。

 

前回勉強のモチベーションについて書いたのですが、こう勉強している(しなくてはならない)理由をはっきりさせることもモチベーションアップに繋がった気がします。

 

勉強に対するモチベーションを上げるためにはどうすれば良いのだろうか

どうも再受験で入った医学生狛犬です。

 

今日は流石にCBTの勉強進めました・・・心臓のこととか大血管に関する病気とか循環器は一通り学習し終わったので、今は内分泌を勉強しています。

 

循環器も心電図やら前負荷、後負荷、心拍出量の関係やらあと禁忌が多かったりとややこしかったのですが、内分泌もかなりややこしいです。

 

視床下部→下垂体→それぞれの臓器みたいに物質が伝達されていくんですが、臓器ごとにホルモンがあってそれを誘発するホルモンもあって更に抑制するやつもあって・・・みたいに連鎖してるんで混乱するんですよね。

 

もちろんそれぞれのホルモンにはちゃんと役割があるわけで、もしホルモンが過剰になったらどんな体の異常が出るかっとか何種類も覚えるないといけないことが積み重なっていくのです。

 

私にとっては内分泌が一つの山場ですね(その次は産婦人科あたりでしょうか)。

 

ところで勉強ってどんなモチベーションを持てばできるんでしょうか・・・

 

例えば、今日やった勉強は次がモチベーションでした。

 

CBTにギリギリでもいいから受かる

 

でもこれって後ろ向きなモチベーションですよね。勉強しないと留年する、つまりやらないと自分の不利益になるから勉強しているわけです。

 

それでは少し残念なので、今回はちょっと前向きなモチベーションも考えて勉強していました。

 

CBTに受かったら国家試験も受けられて医者になれてその時に今の知識を活かすことができる

 

かなり前向きになったんじゃないでしょうか。しかし、これで勉強も捗るかっていうとそうでもないんですよね。

 

医者になれた時なんて順調に行って3年後だし、本当に今の知識を使うか確証はないし、正直に言って現実味が無いです。こんなこと考えても嫌々勉強してる感はぬぐえません。

 

でもたまに嫌々勉強していない時ってありますよね。私も医学部再受験の時がそうでした。私は一般的に言って嫌々勉強しない(ガチで勉強する)時って二つのパターンしか無いと思っています(少なくとも私は次の二つしかありませんでした)。

 

まず、徹底的に追い込まれた時

 

医学部再受験した時、仕事を辞め、落ちたらニート人生確定って状況で本当に半年間死ぬ気で勉強していました。もちろん医者になって誰かを救いたいという前向きなモチベーションもあったかとは思いますが、ほぼほぼ追い込まれていたから勉強できた要素が強いと思っています。

 

その次に、誰かにマウント取りたい時

ゲームなんかがそうですよね。誰かよりも上になりたい、誰かに認められたい、そうやってみんな熱中して時間が過ぎていくわけです。でも勉強はマウント取れた!っていう結果を得られるまでの過程が比較的長いので、なかなか熱中できる人は少ないようです。最初に挙げた徹底的に追い込まれた時よりかはこのモチベーションで勉強している人は少ないイメージです。

 

モチベーションを上げたかったら上の二つの場合を作り上げるもしくは二つの時が来るのを待つしか無いと思います(それをモチベーションと呼んでいいものか疑問ですが・・・)。少なくとも私の人生を振り返ってみると上の二つの時しかガチ勉強していませんでした。

 

結局人間も動物である限りは、本能的に生命の危機レベルでないと通常の勉強みたいな無駄と思える行動はしにくいんですよね。

 

しかし、たまに(千人に一人くらい)本当に知識欲の塊みたいな人がいるから驚きです・・・

 

追い込まれているわけでもないのに普段から凄い勉強していて、にも関わらず誰にもマウント取っている様子も無いような人・・・

 

いつかこういう人の心理っていうか頭の中を解明してみたいと思っています。

 

それでは

 

予備自衛官について考えてみたり

最近は曇り空が多く涼しくて良いですね。

 

郊外から同じく再受験で入ったクラスメイトが遊びに来るということで、あちこち歩き回りました。

 

ということで今日も勉強できず・・・CBTまで残り二ヶ月ちょっとなので流石に焦ってきます。

 

さて、最近予備自衛官に興味を持っていてよくあれこれ調べています。

 

というのも知り合いに自衛隊に入っている人がいて、なんかやっぱ身のこなしというか心身ともに鍛えられてきたんだなってひしひしと感じて羨ましいんですよね。

 

予備自衛官に興味を持った理由はそれだけではありません。

 

機会があって徴兵制のある小規模な国に行くことがあったんですが、みんな政治についてすごい詳しい

 

国際情勢について若い人でも日常の場でバンバン議論しているんですよね。

 

何故なんだろうって考えてみると、いざ有事の際はみんな戦争に行かないといけない。

 

つまり自分の住んでいる国の運命が自分自身の運命と直結しているわけです。

 

そりゃあ政治とか国際情勢に興味持つのも納得できます。もし政治のバランスが崩れたのを漬け込んで敵国が攻め込んできたり、国際情勢の悪化から大規模な戦争に巻き込まれたりしたら、直に自分自身に影響が及ぶのです。

 

日本でももちろん何か有事の際は国民一人一人に何かしらの影響が及ぶのは間違いないと思います。しかし本当に自分自身に影響が直に及ぼすことを有事前にはっきり予想できる人はあまりいないのではないでしょうか。

 

どうせ何か起きても自衛隊がなんとかしてくれる・・・そう考える人がほとんどでしょう。実際に軍隊として配属されたことがないから実感として湧きにくいのではないかと思います。

 

というわけでその某国の若者を目の当たりにしてなんとか私も自分自身の運命を国の運命と直結させてみたくなりました。

 

アラサーで医学部に入り直した私は今更自衛隊に入るわけにもいかず、どうしたものかと考えていたら予備自衛官の存在を思い出したのです。

予備自衛官であれば年齢制限もそれほど厳しくなく、時間だけはたっぷりあるという学生の立場も利用できます。

 

採用資格を見た所、年齢は一般18歳以上34歳未満、技能18歳以上で、保有する技能に応じ53~55歳未満とありました。

 

年齢はまだ大丈夫そうです笑

 

技能とはある特定の資格を持った人が応募資格をもち、医師もありました。

 

私はまだ医師ではないので、予備自衛官を今とるとなると一般になりそうです。

 

処遇は日当が7,900円で交通費も出してくださるそうでなかなか悪くありません。

 

問題は訓練ですね。自衛隊の本訓練同様のなかなか厳しいものみたいで、途中で辞める人も続出みたいです。

 

まあでもそれほど厳しい訓練を耐えきらないと生半可な気持ちで行ってはダメってことですね。

 

また、3年以内に50日の教育訓練を行えるかという問題もあります。5日間を10回とのことなので長期休みを利用したらなんとかできそうな気がします。。。

 

また何か予備自衛官について進展があれば書き込もうかと思います。

 

 

 

 

どうしてブログを続けることは難しいのか考えてみました・・・

最近、曇りが続いていてすっかり夏の熱気も弱まったって感じですね。

 

腰の痛さも昨日よりかは弱まってきましたw

それでもまだ歩いたり立ったりすると時々激痛が走ります。

 

ポケモンGOは一年前から相変わらず続けていまして、今レベル37です。

最近はレックウザレイドをひたすらやり続けて経験値稼いでます。

ポケストップロケット団が現れて対戦できたりと、定期的に新しい内容が導入されて本当に飽きさせないですね。

ところで、ポケGOは一年前からずっと続けていたわけですが、ブログはというと一ヶ月も続かず中断してました・・・

 

この違いは何なんでしょうか。

 

色々理由を考えた訳ですが、もちろん続く人もいるわけでその人の性格、その人の周りの環境も大きいと思うんですよね。

とにかく私なりにブログの特徴に焦点を当ててブログを書く難しさを列挙したいと思います。

 

1.まずパソコンを立ち上げるのが面倒

これ言ったらおしまいじゃないかと言われそうですが、結構重要な要素だと思うんですよね。ポケモンGOなんてスマホでタッチしてアプリ起動させるだけですもんね。

 

2. 誰かに見てもらいたいのに誰も見てもらえない

ブログを始める人はほぼほぼ誰かに見てコメントをもらってを想像すると思うんですが、実際始めてみるとPV0とかザラです・・・

広大なネットの海で孤独っていうか必死にブログ書いた後に残るのは虚空だけって虚しくなってしまいます。

私はとにかく日記、考えたことを残すんだって割り切ることにしました(もちろん誰かに見てもらえるかもしれないことを常に念頭に置いてますw)

 

3. 一度中断すると再開しにくい

私みたいに忙しい時期に突入してそのままブログを中断してしまうってことも多いと思います。そして月日が経って気付いたら一年とか経って、ブログ再開しようと思ってもそもそもどこのブログサイトで作ったのか(少なくとも私は)忘れるんですよね。

やっと思い出せたと思っても今度はログインIDやらパスワードやらを思い出さないといけない。私の場合はメモしてあったんですけど、そのメモ自体を見つけるのに苦労しました・・・

 

4. 行動(ブログを書くこと)を自発的に行わないといけない

ポケモンGOなり他のゲームアプリなりでもそうですが、大抵タスクなりログインボーナスなりがあって自動的に報酬が入ってくるんですよね。予めやることが与えられてそれに従っていけば良いわけです。ブログを書くということは天からのお告げなりがない限り何々を書けみたいな指令はなく、自分の意思で自分自身に命令しないといけない、それが難しい・・・人間って結局レールが引かれた道を行くほうが楽なんですよね。

 

5. 何かを書くというアウトプット をしなければならない

私みたいな受け身な人間は常に情報を吸収しているほうが楽なんです。たまに創造性豊かな人がいてアウトプットの方が好きだ!っていう人がいますが、本当に信じられません。何かを創り出すってかなり労力が要りますよね・・・ポケモンGOみたいにひたすらにポケモンを捕まえるみたいに日記が書ければ良いのですがそうはいきません。

 

6. やること(書く内容)が見つからないもしくは思い付かない

ブログは日記を書くにしてもどうしても全く何も特筆すべきことが無い日があると思います。そうすると何かを捻り出さないといけないわけですが、先ほどのアウトプットしなければならない事態が発生してそれだけでブログを書く意欲が無くなってしまうわけです。

 

 7. 他に競合するアクティビティが多い

ポケモンGOであれば歩いてるときなり暇な休憩時間にやれば良いのですが、ブログを書くとなると家で机に座ってまとまった時間いやらないといけません。そうすると必然的にブログ書く他にできることあるじゃん!ってことが多くなると思います。例えば動画観るなりゲームするなり筋トレするなり・・・そうすると誘惑も多くなるわけです。

 

8. 行動が比較的単調

ポケモンGOであれば(私がポケモンGOしか知らないので出してますが他のゲームも同じだと思います)新しいイベントが企画されたり、新しいシステムが実装されたりで常に飽きさせないイベントが用意されます。しかし、ブログを書くという行為は、もちろん書く内容は異なりますが、基本同じです。結果やはり飽きてしまいます。

 

あれこれ思いつくままに列挙してみましたが、こう考えをまとめてみると何故かかなりスッキリしました。ブログを長期間中断した言い訳ができて、自己正当化できそうです!

 

なんとか今後は続けられるように頑張ります・・・

 

CBTの勉強はというと循環器終わらせました・・・循環器本当に難しい・・・

いつか循環器が難しい理由を考えてまた列挙してみたいと思います笑

 

それでは